プロローグ

堕天使の堕落生活
堕天使の堕落生活
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プロローグ


 ——『神話』。それはかつて神々が世界を、生物を創造した話。
 何千、何億年前——神々は世界を創った。まだ『神』という名も無かった。
 ただ一つ言えることは、創造した生物とはまるで似ているようで、しかしどこか違うような姿形をしていた。その時彼らがどのような目的を持っていたのかは、未だ謎である。
 
 生物とはどのような生き物なのか。
 神と生物で何が違うのか。
 彼らにとって善と悪とは。
 また、真と偽とは。

 ——このように無数の可能性を考えることができる、とこれはあくまで神々が実在していると知っていればの話である。

 だが、実際はそうじゃない。生物——いや『人間』は、目で見たものを信じ、経験したことを糧とする。
 したがって、知識としてはあるものの、神々を空想のものと捉え、実在していると。
 だから信じない。
 
「——くそが……」

 これが男の開合一番に出した言葉である。
 よほど悪い夢を見たのか、また、寝付けなかったのか——。
 窓の外に見える明るい日差しが、今日も彼の目に差し込む。

「……寝るか」

 その光を遮断するかのごとく、無造作に足元に置いやられた布団をグイッと引っ張って、体を覆い隠す
 すると、可愛らしい声が聞こえてくる

「今日も——サボりですかぁ?」

 どこか落ち着いているようで、怒っているようでもある。
 
(私を煽るような——いやゴミを見るような目で声をかけて来たのは、見るからにヒロインのような綺麗な白髪に、黄色い眼、可愛らしい容姿をしており、そして村イチのアイドル——ナキリアーナ。通称「ナキリー」。隣の家に住んでいる女、十八歳だ。
 最近いつも【職務】を全うしろと言ってくる、良い加減、うざい)
 
「あれぇ? 無視ですかぁ?」

 彼女は続けて煽る。

「じゃあ……」

 言葉と同時に左手に隠し持っていたナイフが光に反射する。
 その瞬間、篭って暑くなっていたはずの体に、寒気が刹那に頭からつま先まで走る。

「まてまてまて! 落ち着けって!」

 焦って上体が起きあがり、手が反射的に前に出る。

(そうだった……こいつは普段は明るいやつだが、その容姿らしからぬ性格もあったのを忘れていた)
 
 次は……気をつけよう。と心の中で誓う。

 人間のように言葉を話しているが、よく見ると男の背中にはそれはもう美しい白い羽が生えている。

 ——天使。
 崇高で、常に命を尊重し、あらゆる生物の模範であり、正しい道へと導く存在。彼らは、神々の中で最も人間に似ており、天界に住む、【職務】を与えられた天界人。彼らには一生涯かけてやり通さなければならない仕事がある。
 【職務】とは——例えば、ナキリアーナ。笑顔にすることが【職務】である。
 しかし、【職務】があるのは天使だけではない。
 ——例えば、女神アマテラス。
 世界を照らすこと。つまり、太陽——それが【職務】。
 天界に住む全天界人の、責務なのだ。
 

「……で、何の用だ?」

「ふっふん、今日は違うのよっ」

「は?」

「大天使サリエラ様からのお呼び出しよっ」

「……は? なんで?」

「それは……あなたが一番わかってるでしょ」

「……はぁ、しゃーねーなぁ」

 面倒臭そうにゆっくりと立ち上がって、歩き出す。
 
「【職務】を全うねぇ——」

 そんなことを考えながら、着替え、歯磨き、朝食、の順に淡々とこなしていく。
 
 男の名はフーマン。二十歳・自称無職・天使。顔立ちが整っており、光に当てられ輝く青い眼、神々しい翼が彼を際立たせているが、自称無職だからなのか、手入れされていないボサボサの黄色い髪もまた目立つ。
 そんな男が前触れなく、大天使サリエラ様からのお呼び出しを食らうのは日常茶飯事である。しかし、いつもは腰が重く、上がらないまま1日が過ぎる。
 
 支度が終わり、玄関にある扉から外へ出る。
 そこはまるで異世界のような、しかし異世界ではない風景が見渡す限り広がっている。
 気持ちのいい青空に、真っ白い雲。
 それだけでここが天界だとわかる。
 地上は……見えない。
 
 「はぁああぁ~~~!」

 フーマンは気持ちよさそうに両手が抜けるほど伸びをする。朝日に照らされたその姿はまるで幼い少年を描いたようだった。

「……フーマン」

 心の中でどこか寂しそうに、彼女はつぶやいた——。

   ◆◆◆
 
 あれから数時間が過ぎ——午後四時。
 
「ふっ……何年振りだ?」

 強い風が彼に当たり、通り過ぎて行く。
 見上げると、目の前には大きすぎるほどの白い神殿があり。
 まるで建って間もないくらい綺麗である。

「……」

 一通り眺めた後、張り詰めた表情になり、入口へ真っ直ぐ歩き出す。
 その入口は来訪者を歓迎しているように、広く、清潔感がある……が。
 おそらくこの場所にはそぐわないであろう二名の門兵によって厳重に警備されている。
 しかし彼はそんな門兵を目もくれず、通り過ぎようとした。
 
「止まれ、名は?」

 門兵はすかさず手に持っていた槍で彼を阻む。

「天使フーマン、大天使サリエラ様に用がある」

「……サリエラ様なら奥にいらっしゃる」

「ん……あんがとよ」

 門兵が槍を収めたのを確認した後、ゆっくりと入口をくぐる。
 フーマンは門兵に言われるがまま颯爽と歩いて行く。
 ロビー、階段、廊下、そして数多くの部屋がまるで風景のように通り過ぎていく。
 しかし、その傍らでひそひそと声が聞こえてくる。

「ほら、あの人よ」
「あぁ、あいつが」
「天界人の恥めっ!」
「とっとと消えればいいのに……」
「正直、邪魔なんだよな」

 聞こえていないのだろうか。いや、聞こえている。
 ただ彼にとっては眼中に値するものではなかっただけである。
 なぜなら、大天使サリエラに用があるからだ。

 《認知》——すなわち、心理学、言語学、脳科学、認知科学、情報科学などにおけるそれは、人間などの生物が外界にある対象を知覚した上で、それが何なのかを判断、解釈する過程のことを示す。
 つまり、彼は認知した上で、瞬時にここに来た目的は何かと考え、結果《無駄》だと判断わけである。

 しばらく歩くと「ここに居ます」と言わんばかりの大きな扉が見えた。

「遅いっ! いままでなにしてたの⁉」

 扉の前には、なぜかナキリアーナが立っていた。フーマンはナキリアーナの大きな声に一瞬の驚きを隠せず少し体をビクッとさせながら答える。

「えっ……あぁ、寝てた」
「ハァ⁉ だってあのあと——」

 ナキリアーナは数時間前の出来事を頭に思い浮かべる。

 ——遡ること数時間前の朝。

「……フーマン」

「んじゃあ、行くわ。伝えてくれてあんがとよっ」

 その横顔は、一瞬の隙を突いたように彼女の頬を赤く染める。

「……うん。どう、いたしまして」

「じゃなっ」

 この言葉を残して去って行き、後に姿が見えなくなっていった。

「——————って!」

 思い浮かべたものを全て吐き出した。
 彼女は驚きの様子を隠せないまま問いかける。

「いやぁ。あまりにも日差しが気持ちよかったもんで、ちと昼寝してたんだよなぁ」

「…………ハアアァァアアァァアアァ⁉ あなたねぇ!」

「まぁ、いいじゃねーか。ほら、行こうぜ」

 フーマンは彼女より一回り大きな両手で、扉をグッと押すとギギギィィと音が鳴りながら扉が開く。
 入ると、そこはあらゆる光がステンドグラスを通り、大理石の壁や床に当たることで反射し輝き続けている。

 ——『光の間』。天界人たちは皆そう呼んでおり、数多くある大部屋のうちの一つである。
 
「…………」

 玉座に座る男の姿が、光に遮られ薄っすらと見える。
 しかしその中には小さく揺れ動く二つの赤い点が、細い線を描きながら彼らに向く。
 それはいくつもの修羅場をくぐり抜けてきたのだろうと誰もが思う血色をした男の眼。
 
「……来たか」

 彼らには聞こえないくらいの声で小さくつぶやき、スゥッと息を吸い込む。
 
「我が名は大天使サリエラ! 罰することが【職務】であり、最も冷徹にして義理堅い、十大天使の一人である!」
 
 大きな声が壁に反射し、拡声器のように部屋中に広がる。
 
「うっせぇ!」

 サリエラの声に対し、フーマンがさらに大きな声で突っ込むように返す。
 
「うるさいのはあなたの方よ‼」
 
 すぐさま彼女が突っ込む。
 彼女の声は勢い良くフーマンの左耳を通り右耳へと抜けていく。
 それにより、彼女の声が彼の頭の中を駆け巡り。
 彼は耳を力一杯塞ぎ、涙目のなりながらも、何もなかったようにすぐに平常心に戻る。

「で? なんだよ、兄さん」

「貴様を呼んだのは他でもない。 貴様の【職務】に関することだ」

「たしか、貴様の【職務】は『天界人の実在の証明』だったな」
 
 (そう、つまり伝承だ。本来、伝承とは物事を正しく伝えていかなければならない。
 だから私は、絵本、歌、小説等、あらゆる物を媒体にして伝承し【職務】を全うした。
 しかし、奴らはそれを身勝手に捏造し、居もしない神々を作り上げ、自身の金儲けに使う——。
 だから、嫌いだ)
 
「ああ、だが奴らには無駄だ」

「それはなぜだ?」

「奴らは我々を尊くなど微塵も思っていない。現に地上には偽りが蔓延して居る、それが証拠だ」

「貴様が無能なだけでは?」

「なん、だと?」

 フーマンの鼻がピクリと動く。

 一方、サリエラはそんな彼を目もくれず、冷たい眼差しを彼に向けたまま続ける。

「貴様は……もう無理だ」

「よって、今を持ってきさまを堕落した天使——『堕天使』とする‼」

「なっ…… ⁉」

「追放だ」

 サリエラはまるで彼を包み込むかのように、ゆらりと手を前に出す。
 その瞬間、一瞬手から魔法陣が生成されたと同時に手が発光する。
 その光が部屋中を反射し、大きな光が彼らを包み込む。
 フーマンとナキリアーナは反射的にクッと目を閉じる。

「…….さらば、弟よ」
 
 光が消えた後、彼女は閉じた目をゆっくりと開く。
 そこに、先ほどまで近くにいたはずのフーマンの姿はどこにもなかった。


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